アメリカの消防

 


 公益財団法人 日本防炎協会発行の防災ニュースに連載させていただいている「米国消防事始め」より抜粋して掲載しています。

※当コラムの無断転記・コピーを禁じます。


【第1回】

アメリカの消防の創始者は!?


このアメリカ100ドル札に描かれている偉人“ベンジャミン フランクリン”がその人です。

彼は1706年生まれ、アメリカ合衆国の政治家、外交官としても有名です。アメリカ独立に多大な貢献をしアメリカ建国の父の一人となっています。また、凧を用いた実験で、雷が電気であることを明らかにしたことでも知られています。彼は18歳から20歳までのイギリス留学で様々な事を学びアメリカに持ち込んでいますが、その中の一つに保険会社がありました。街の商店で保険に入ると火災時に保険会社が持つ消防隊が出動して火を消してくれるという商品です。

どの商店が保険に入っているのかは保険会社が提供するFire Marksが目印でした。でもこのシステムは契約商店しか消火しないという事で悪評でした。そこで彼はアメリカ初の消防組合を1936年にフィラデルフィアで組織しました。これが米国ボランティア消防隊の始まりです。

上記の写真たち。

これらはFire Marksと呼ばれている看板です。イギリスで保険会社の加入目印として製造されたのが始まりです。今では役目を終え、アンティークとしてコレクターたちのアイテムとなっています。デザイン性も高く魅力的で、コレクターでなくともついつい集めたくなってしまい、私も数点持っております。


【第2回】

米国ボランティア消防団

 

日本では職業消防士(地方公務員)が100%消防業務を受け持っていますが、アメリカをはじめ多くの国では、活動の全てまたは大半をボランティア消防団が担っています。

米国の場合は全消防署の86%に当たる市町村で、また全人口の39%がボランティア消防士によって守られています。



米国の115万人いる消防士のうち81万人はボランティアです。

日本では考えられない状況ですが、そのため各地のコミュニティでは年372億ドルの税金の節約になっているそうです。



ボランティア消防士、ジョンさんとキャシーさん


私が初めてアメリカで出会った消防団員はテキサス州アトランタでの消防長会議に出席した後の事でした。

私たちの消防署で購入予定の機材を使った子供教育プログラムを教えてくれるということで、私たちの泊まっているホテルまで教材付きで来てくれたのが、ジョンさんキャシーさんのお二人でした。

ジョンさんは、週の内4日を警察官として、残りの3日はボランティア消防士として働いています。

キャッシ―さんは週に3日スクールバスの運転手としてお仕事をして、2日をボランティア消防士として働いています。


私は当時ボランティア消防団についての知識があまりなく、今から考えると恥ずかしいくらい「本当にお給料もらっていないの!?」と何度も聞いてしまいました。

ジョンさんは「祐子さん、僕は普通の人が簡単にはなれない消防士という人のいのちを救う仕事につけて本当に自分が幸運だったと思っている。ボランティアで全然かまわないよ」と答えてくれました。その精神に敬服いたしました。



【第3回】

消防署での資金稼ぎ

 

その後、色々な場所でアメリカの消防団の人々に会うことができるようになり、アメリカ消防のボランティアについて次第に理解できるようになってきました。

 

市町村は消防署、消防トラック、防火服、訓練などの施設や装備はすべて税金で準備しますが、人件費は基本ボランティアなのです。

運営費も勿論市町村から支払われますが、消防署での必要経費が全てまかなわれているわけではありません。

そのような時ボランティアの消防団は自分たちでお金を稼ぎ出します。

例えば食事会。

コミュニィティ-のスーパーマーケットなどから寄付として具材をいただき、それで美味しい食事を準備します。そしてコミュニィティーに招待状をだし、食事代としてお金を集めるのです。

市長をはじめ議員さんや市役所の人々など沢山の人達がこぞって参加して楽しくひと時をすごします。本来消防士はなかなかの料理人だそうで、とにかく美味しいそうです。

 

食事会の目的もきちんと説明されています。火事にあった人へのお見舞いや、老人ホームへのクリスマスプレゼント、少年消防団のキャンプ費用補助など様々です。勿論消防隊の運営費の補助にもしているそうです。

消防士が洗車するサービス「Car Wash」

コーチのバッグが当たるくじ、

消防のマスコット・スパーキーも登場して子供たちや参加者を盛り上げます。



【第4回】

こうした消防士たちがコミュニィティーを守っているので、その消防士たちが火災の時に命を落とすような時、仲間の消防士やコミュニィティーは嘆き悲しみます。

自分たちのいのちを守ってくれた消防士がいなくなるからです。

消防士は仲間であり隣人なのです

 

アメリカに消防の心を表す消防士の詩があります。沢山あるのですが、私の好きな消防士とは何かという詩をに日本各地の消防学校にて日本の消防士である生徒さん達にアメリカ消防の心として伝えています。

消防士とは何か

 

消防士とは、直ぐ隣に住んでいて、少年の頃の記憶を持った男である。

消防士とは、消防車のそのけたたましいサイレンの音、

ものすごい煙それと身の危険に伴う異常な興奮に決して負けない男である。

 

消防士とは、あなたあるいは自分と同じく心配事や不安や

満たされない夢を抱いた一人の男である。

しかしその男は飛びぬけた使命感を持っている。

その男は消防士である

 

消防士とは、ひとたび出動のベルが鳴れば身を呈して危険から一般市民を守る

日ごろのヒーローである。

消防士とは、最も運の良い男であると同時に最も運の悪い男である。

 

消防士とは、命を守る男である。

何故ならあまりに多くの死をみてきたからである。

 

消防士とは、物腰の柔らかい男である。 

何故なら抑えの効かない凶暴さの恐ろしいパワーを見てきたからである。

 

消防士とは、ちびっ子たちの笑いに責任を持っている。 

何故なら二度と笑うことのない小さな遺体をあまりにも多く

両手に抱えてきたからである。

 

消防士とは、その人生の中で、どおって事のない喜びに感謝の念を抱く男である。 

例えば、かじかんだ手、曲げられない指で持った熱いコーヒーとか

疲れきった骨と筋肉のための温かいベットとか

勇敢な仲間達とか 天から授かった平穏とか

全ての男たちの名において成しえた、自分自身の事は後回しの献身的任務である。

 

消防士とは、抗議したり反対闘争の旗を振ったり汚い言葉で

大声でわめいたりして行進を行わない。

行進は殉職した仲間を讃えるために行うのである

 

消防士とは、決して声高らかに助け合いの

人間関係の大切さを強調して説教したりしない。

それを自ら実践しているのである



【第5回】

前回まではアメリカ消防の文化をお伝えいたしました。
第5回目からはテーマを変えて、子供たちに大人気の「消防トラック」と「アメリカ消防のユニークな活動」をお伝えします。



個々の個性を大切にするアメリカの文化は、消防トラックの色も個性的です。
日本の消防トラックの色は規制により赤のみですが、アメリカでは様々な色を楽しむことができます。
アメリカでも消防トラックの色は、伝統的な色としては赤です。でも日米の消防トラックの“赤い色”は違う色なのです。ご存じでしたか? 


並べてみると、色の違いがはっきりわかりますね。

左側・日本消防トラックの赤は朱色に近い色ですが、アメリカ消防トラックの赤はワインレッドのような深い色です。


 

さて、次は「赤」以外の消防トラックをご紹介します。

現在ではアメリカの各市、町にて様々な色が用いられています。


例えば、デンバー市消防署(アメリカ中部の中心都市として栄えている都市を守
る消防署です)消防トラックの色は白です。


←デンバー市消防トラック
 

また、日本人観光客が沢山訪れているハワイの消防トラックは色鮮やかな黄色です。
そして消防車にはサーフボードが装備されており、色は勿論黄色です。
 
←ハワイ消防トラック サーフボード付

空港には夕闇で一番目立つ色と言われているライムグリーン(薄い黄緑色)トラックが多いです。

皆様も旅行中にご覧になったことがあるのではないでし
ょうか?
 

ロングアイランドのTF Air Port Fire Dept.    

消防車のデザインもそれぞれの都市で違う色なので楽しめます。

なんと黒色や青色、さらにオレンジ色もあります。


 
Norfolkの消防トラック →



 
バージニア州Goshen市消防車  →



 
イリノイ州 Coal市消防車 →


アメリカ人の中にも

「やはり消防車は伝統的な赤だよね」という声や

「ライムグリーンのような科学的に考えられたものだよね」とか、

「黒が“恰好よく強そうで人々に安心感を与えるものだよ」などなど様々です。

 

アメリカへ行かれましたら是非探してみて下さい。楽しいものです。



【第6回】

“Juvenile Fire-setter Program”青少年火付け更生プログラム

 


次はアメリカ消防隊のユニークなプログラムを紹介いたします。

“Juvenile Fire-setter Program”青少年火付け更生プログラムです。

 

10年程前にデンバーの消防長会議に出席する機会を得た私は仲間とデンバーを訪れました。そして時間の合間を見つけて消防署を訪れました。

予防課に案内された私はひとしきり会話をした後に、何かユニークな活動がないか尋ねました。紹介してくれたのが、この“青少年(18歳以下)の火付け矯正プログラム”でした。

 

初めて聞く驚きのプログラムでした。

何しろ、消防署が火付けをして捕まった子供たちを預かり教育をし、その結果、十分に反省して学んだと判断され、且つ今回の火付けが初めての子供に限り、火付けをしたという事実がすべての公的機関から削除されるというものです。


アメリカ連邦捜査局(FBI)の統計によると子供が関係する犯罪の中で被害額が一番多いのがこの火付けなのです。

 

アメリカでは子供による火付けは常識だ、という話は聞いていました。

以前新任のアメリカ人ボスが教えてくれていたからです。でも日本では「子供の火付けは殆ど報告されていないよ」と答えた私に、ボスが

 

「日本の火災の一番の原因は放火というのに、子どもは火付けをしていないという。そうすると、日本人というのは成人して初めて火をつける人達ですね~」

 

と言われて「あ!」と思った経験を思い出します。

今では日本の沢山の消防署の火災統計に子供による火遊びというのが挙げられております。


FBIの分析によると、火遊びのタイプは4つのタイプに分けられています


1.0歳から10歳までの好奇心による火付け

2.不良グループなどの圧力で火をつけるタイプ

3.離婚された家庭の子供たちのようにストレスから火をつけるタイプ

4.病的な火に関する興味を持つタイプ(これは消防では世話をしません)


アメリカでは火遊びをした子どもの親や、校長先生が市のオンブスマン会議に子供を連れてきます。そして市民や裁判所、青少年局、警察、市役所、病院と協力して手続きを経て消防署に預けるのです。



4か月間毎週土曜日に子供たちは消防署で学びます。

人口60万人のデンバー市でなんと年間3000人の子供たちが訓練を受けています。

一人の専従者しかいないため忙しい毎日を送っていると消防士は語ってくれました。


でももし自分が指導をしないとこのうちの70~80%の子供たちが再び火付けを行うそうで、自分がいることで地域の子供たちが健全に育っていく。地域に貢献していると話してくれました。


そのプライドに圧倒されました。


【第7回】

Stop, Drop and Roll: 止まって、倒れて、転がって:


アメリカの子供の火付けについて説明をいたしましたが、火付けの結果亡くなる

子供たちが沢山いました。そのためのサバイバルプログラムが考えられました。

 

← 基地の中で 4歳児のクラス


実は、このサバイバルはアメリカの消防士たちがつくりました。


10歳以下の子供達は、火をつける子供自身が火の犠牲者になります。

子供は普段、火災を見ればすぐに逃げ出します。でも自分の火遊びで火災を起こした子供は、自分で火を消そうとしてそこに留まるために、自分にまで火を被ることになり被害がひどくなるのです。


火災で出動した消防士達は、小さな子供の遺体を前にして、「マッチやライターで遊ばないようにと何度注意しても遊ぶのであれば、せめて火傷が小さいうちに火を消させよう。

何とかこのような悲劇を繰り返し起こさないようにしよう」という決意のもとにこの方法を考え出したのです。


ストップ(止まって)

火が洋服についたままパニックになって走ると風が起こり かえって火の勢いをおおきくします。だから走らないように教えます


ドロップ(倒れて)

地面に倒れることにより燃えているところを地面に押しつけるようにします。体と地面をくっつけるようにします


ロール(転がって)

地面に倒れたまま右に左にと転がります。転がることで洋服についた火を窒息消火させます。


実際に洋服に火がついたときにこのやり方を知っていれば、子供達は落ち着いて火を消し

自分の火傷を最小限にとどめることができるのです。



【第8回】

アメリカの子供は誰にも頼らず自分で洋服につけてしまった火は自分で消すのです。


このような考え方は日本では聞きません。よい子はマッチライターで遊ばない。

もし洋服に火がついたら用意した水で消しなさい。近くの大人や先生に言いなさい。

このようなものでしょう。私の子供達もそうでしたが、日本では子供は受け身です。

 

火の三原則の酸素の供給を断つために、地面に体(洋服についた火)をこすりつけて窒息消火をさせるのです。

高い知識を砕いて教えることで、子供は本来なら恐いはずの火災であっても、落ち着き、技術を使って危機を回避することができるのです。このような危機管理感覚というものは訓練を受けなければなかなか身につきません。


← 日本で、女性消防団によるクラス


実はこのストップ、ドロップ&ロールは、歌手の宇多田ヒカルさんもブログに書いています。

“私はスタジオの木の床の上をゴロンゴロンと転がるのが大好きです。小さい頃に習った洋服についた火を消す方法です。ゴロンところがるととても気持ちがいいものです”彼女はニューヨークで育っています。

この火を消す方法を習ったようですね。

アメリカでは、現在はお年寄りに対しても、洋服についた火を消すのにこのストップ、

ドロップ&ロールを使いましょうと教育をはじめています。


子どもの火災安全プログラム

このサバイバルプログラムは、次号でお話するGreat Escapeと並びその後のアメリカの子供の危機管理教育の基になったプログラムです。シンプルながら水がない所でも、どの様な所でも使うことができ命を守るものです。日本では教えていませんでしたが、今各地で消防署や女性消防団のループによって教えられています。ぜひ広がって行ってもらいたいと強い気持ちを持っております。


それは2013年の京都の福知山の花火大会で起こった悲劇的な事故のためです。

屋台業者の不注意で発電機に入れる携行缶のガソリンに火がつき周りの見物人に飛び散りました。

例え火遊びでなくとも火が事故により自分の身体に付くことがあるとこの事故が証明してくれました。

3名の尊い命が失われ59人もの重軽傷者がでております。せめて地面に転がって洋服に付いた火を消してくれていたら・・・。

悔やんでしまう事件でした。

心よりご冥福をお祈りいたします。




【第9回】

 さて前回の記事に書きましたように、今回はアメリカ消防の火災安全クラスの中で“Stop, Drop & Roll”と並び優れていると評価されているプログラムをご紹介させていただきます。


Great Escape:グレート エスケープ大脱走
 みなさんは『大脱走』という映画をご存知でしょうか。スティーブ マックウィーンという、1950年代にハリウッドで活躍した俳優が主演した映画です。
内容は第二次世界大戦中、ベルリンの捕虜収容所から、集団脱走した史実を映画化したものです。この『大脱走』という映画の内容が、「グレイト エスケープ」というプログラムの由来なのです。「グレイト エスケープ」は火事になった家からの大脱走訓練です。
このプログラムは1986年に全国的なキャンペーンとなり全州の80~90%の消防隊が参加しました。全米で教えられたわけです。もちろん30年以上たった現在でも教えられており、良質で息の長いプログラムとなっています。この中で子供達は大人である私達も驚くほどの知恵と技術で火災から大脱走していきます。


基本は下記のような行動です。
 1. 寝室のドアは必ず閉めて寝る
 2. 煙感知器の音が聞こえたら身を低くしてドアの前へ行く。
 3. ドアを、手のひらでなく手の甲で触る。もしドアが熱ければそのドアは使わずに他の逃げ口へ(ドアや窓)。ない時は籠城へ。
 4. 避難したら家族との待ち合わせ場所に向かう
 5. そこに留まり決して家へは戻らない。

(左)煙の中を身を低くし這って進むスパーキー(右)スパーキーの後を追う子供達


寝室のドアを閉めて寝る

寝室のドアを閉めて寝るというのは、火災により発生した有毒な煙が寝室に入るのを防ぐ為です。

眠っている間に入ってきた煙には二酸化炭素を含む有毒なガスが含まれています。このガスを吸い込みますと死に至ります。1口、2口吸っただけで身体が動けなくなるのです。

『逃げなければ』と頭ではわかっているのですが身体は動きません。

自宅が火災になった時、ドアを開けて寝ているとその煙が部屋の中に入ってきます。だからドアは閉めて寝ます。


煙感知器の音が聞こえたら身を低くしてドアの前へ行く
 ここで大事なことは煙感知器です。アメリカでは煙感知器が寝室の直ぐ外についているので、火災の煙がドアの外にたまり始めると感知してピーピーという大きな音を出して火災を知らせてくれます。

もし煙感知器がない場合は、火災に気づくのも当然遅くなります。
 皆さんのご家庭では設置はもうお済みですか? 

火災の早期発見にその威力を発揮して世界中で火災による死亡率を下げた感知器です。アメリカでは実に95%、イギリス83%の設置率です。
 もう設置済みのご家庭ではテストボタンを引っ張ってその音を時々聞いてください。

特に子供達や高齢者は感知器の音をよく知っておかなければなりませんので音を実際に鳴らして教えてください。

ドアをチェックする
ドアをチェックするというのは、避難の際にドアの外が火の海かどうかを調べるものです。

熱い場合ドアを不用意に開けると火災が一斉に部屋の中に入ってきます。それを避けるためにドアをチェックするのです。

この時、手の表側(甲)を使ってドアが熱いかどうかを調べさせます。それは手の甲の皮膚が薄いため温度がよくわかるからです。

もう一つ手のひらでドアをチェックして火傷をするくらい熱かった場合、手のひらは火傷をしてしまいます。手のひらを火傷するとその後の避難に影響がでます。だから手の甲で調べます。
 このドアをチェックするというのを最初にチーフから教わった時、本当に驚いてしまいました。わずか6-7歳の子供達にドアの向こうの火災の進行状態をチェックさせ避難経路が使えるものかどうかを判断させるのです。

火災になった家は修羅場です。子供を守りたいと思ってもできない時もあります。

子供自身が行える避難のやり方を教えることこそが子供にとって重要なことで、命を守るカギであると言えます。

もしドアが熱くない場合は火災がドアのすぐ側にきているのではないので、ドアを開けて脱出します。

ドアを開けるときに気をつけなくてはならないことは煙感知器が鳴っているのでドアの外は煙があるという事実です。

身体に毒である煙を不用意に吸い込まないように低い体勢でドアのところに行ってもらいます。そっとドアを開けて脱出します。

煙は床から約40㎝位の高さには滞留しませんので煙の下をくぐるように脱出してもらいます。そして家族との約束の場所に行って決して燃えている家にはもどらないと教えます。


ドアが熱かった時は、寝室にある別のドアから逃げる。または窓があるときは窓から逃げます。

でも寝室が3階や9階だった時は!?


せっかく窓があっても階が高すぎて窓
から逃げ出せません。その時は窓を開け
自分が閉じ込められて助けが必要な事を
外の人達に知らせます。
 大きな声で叫んでも火災の時など、高
層階であれば声も外に届きにくいものです。

そこで登場するのが寝室にあるシーツや枕カバーなどです。

このグレートエスケープではシーツを窓の外に出し、それを振りながら「私はここにいます。助けてください」と大きな声で叫ぶように教えるのです。

例え夜であってもシーツのような大きな布を振れば必ず誰かが気付いてくれます。

白い色のシーツが夜にはよく目立ちます。でも黒い色や花柄などの柄物でもシーツのように大きい布を振れば叫んでいるだけと違い目立つのです。


このプログラムを学んだ子供達は火災という緊急時に泣いているばかりではないのです。自分で発信して助けを呼ぶのです。

 

最後にもう一つのサバイバルです。

 

その寝室がドアは一個だけで窓もない場
合はどうすればよいのでしょう!?
 ドアは熱いので開けてはいけません。
そのようなときは籠城をします。籠城のやり方はドアを開けずに助けを待つことですが、もちろん自分から居場所を外の人達や助けにくる消防士に伝える仕掛けをこのプログラムで教えてくれます。

 

1. まずドアの隙間から有毒な煙が部屋の中に入ってこないようにシールをします。

特にドアの下の隙間から煙は入ってきます。ここで再びシーツの登場です。シーツを
使ってドアの隙間を埋めるのです。

アメリカ映画でこのようなシーンを見たことはないですか?そしてドアは部屋の壁などより耐火時間が短いのでドアからできるだけ離れて、助けを待ちます。

 

2. 助けにくる消防士さんに自分が籠城していることを知らせるために音を出します。例えば、床や机や壁を本などで叩きながら音を出します。

消防士さん達は音のするほうへ救助に向かうように教えられていますので必ず助けにきてくれます。

助けがきた時に初めてたたくのをやめて大きな声で「助けて!」と叫んでください。

最初から叫んでいたら体力を使いますし、肝心な時に声がかすれてしまって出ないかもしれません。また煙も沢山吸い込みます。それを防ぐためです。

 

 

これがグレート エスケープです。

子供達はこの中でパニックにならずに、とても落ち着いて自分の身を自分で守ります。20年前初めて当時のマーシャル消防長から教えてもらった時とても驚いたことをおぼえています。
 日本の子供達にも、またこのような訓練を受けていない世界規模で働く企業戦士たちにも、ぜひこのような命を自分で守ることができる“命のサバイバル”を伝えていきたいと強く願って各地での講演、イベントなどを行う普及活動に励んでおります。

地元で見かけましたらぜひご参加ください。

 

 

【第10回】

ポーランドからの便り

 

今回は皆様に大変楽しい、ヨーロッパと日本で開催されている青少年消防オリンピックをご報告いたします。


初めて聞くイベント名かもしれませんが、このイベントはヨーロッパの消防協会CTIFの人々によって開催されてきたものです。(CTIFは1900年に設立され、ヨーロッパを中心に37か国の消防協会が加盟している世界一加盟国が多い消防集団組織で、近年日本消防協会もCTIFに参加しております。)
日本人である私にとってヨーロッパの消防関係者たちが次世代を作り出すための大きな努力をしている姿は印象深いものです。

チェコ大会(2009年前回)


最初に消防オリンピックを視察に行かせていただいたのはチェコ大会でした。

成人の部と少年の部が一緒に開催される年でしたので、今回のポーランド大会より参加者が多く、各国の応援合戦や幼年消防の消防演技など開会式の時から圧倒されました。


特別参加として日本からの代表4チームが派遣されました。初めての国際イベントに緊張した面持ちで懸命に競技に参加した子供たちを今でも覚えています。皆社会人や大学生になっているはずです。消防士になったり消防団に所属したりしている子供たちもいるようです。チェコ大会の思い出はどのようなものになっているか聞いてみたいものです。(笑)

ポーランド大会 (2015年今回)


さて今回です。今年7月にポーランドのオポーレ市にて青少年消防オリンピックゲームが開催されました。下記のパレード写真からも推測できると思うのですが、立派な開会式がオポーレ市の中心部でおこなわれました。日本の子供たちの表情からも緊張が見えるのですがなかなかいい写真に写っています。(応援団は旅程の関係からこの開会式にはでておりません)プレイベントではブースを与えられてそこで折り紙を折って皆さんに教えたり、プレゼントしたりと頑張っていたようです。国際イベントなのでパフォーマンスをしてアピールしなくてはいけません。何も言わなくてもわかってくれる関係はありえません。最大のコミュニケーションのツールは大きな笑顔と伝えようとする意志です。

競技の様子


日本からも少年消防団が来た、と当日号外が出ていました!幸先がいいと応援団も朝から張り切って会場へ向かいました。バス乗り場には宣伝のポスターが飾られ、歩道にもポスターが貼られていました。会場につくとやはり青少年だけのオリンピックなのでチェコより規模が小さかったですが、変わらないのは音楽と楽器を持った応援団。鳴り物を振り回すなど大変な騒ぎです。ヨーロッパでのサッカー大会と同じような盛り上がりです。日本チーム応援団は日本から鳴り物を持参できないので今年は笛とうちわを用意いたしました。
      
今回の代表は埼玉県三郷市少年消防クラブ、東京都日野市少年消防団、徳島県鳴門市うずしお少年少女クラブ、沖縄県伊平屋村少年消防クラブでした。
早速日本チームの子供たちに会いました。少し緊張しているのはチェコ大会の時と同じですが、女の子もいて雰囲気にも飲まれていないように見え頼もしく感じました。また裏グランドでは、勝ったチームは騒いでいて写真を取り合ったりしていましたが、その隣で負けた子が泣いていて。チームで慰め合っていました。まさに“青春”です。私たち応援団は背中に大きな消防マークのあるTシャツを着て、特別製の団扇で日本チャチャチャと手を叩き、大きな声で応援しました。大きなスクリーンに映し出されたくらいの応演ぶりでした。
また各国の青少年消防クラブ指導者が子供たちと来ているのですが、女性消防団国際会議に来日していたスロベニアのマリンカさんが変わらない笑顔で挨拶してくれました。嬉しい再会でした。彼女も長年スロベニアで消防の指導者として働いているのです。成績は地元ポーランド一位。日本は24位でした。


次回はチェコ大会のあと、日本でも消防庁、消防協会などの強力なサポートにより開催されるようになった少年消防交流会についての便りをご紹介します! お楽しみに!

【第11回】

日本での少年消防交流会
チェコ大会のあと、日本でも消防庁、消防協会などの強力なサポートにより少年消防交流会が開催されるようになりました!
 2012年 岩手県で東日本大会。18チームが参加したしました。
 2013年 徳島県で西日本大会。18チームが参加いたしました。
 2014年 徳島県で初の全国大会として準備がすすみましたが大雨災害で中止。

 2015年 徳島県で少年消防クラブ交流会が開催されて45チーム参加。

           
少年消防クラブ全国交流会
2015年8月5,6,7日の3日間少年消防クラブ全国交流会が徳島県徳島市でおこなわれました。昨年台風で中止になった第一回少年消防クラブ全国交流会。今年は晴天に恵まれ(猛暑?)日本消防協会秋本会長や飯泉徳島県知事の強力なリーダーシップの元、無事に徳島県消防学校で行われました。
今年は運動場一杯に選手席テント19張り。観客席テント4張り。放送席テント1張り。本部、来賓席テント2張りと整然と整えられており、2年前の西日本大会がおこなわれた時は暑い中子供たちが熱中症にならないように皆で駆け回りましたが、今年は十分な日陰が提供され、クラブ員同士の交流も盛んにおこなわれているという最高の環境のなかで実施されました。
Openingには配置された消防ホースから噴水が青い空にむけて放水され、消防らしい目をひくアイデアで楽しい雰囲気をつくりあげていました。

※画像は日本消防協会提供

少年消防クラブの子供たちは精一杯のパホーマンスで会場を沸かしました。 

応援に来て頂いた近隣の小学生もインタビューすると「全国大会があるようなクラブって驚いた」と感想を話してくれました。また直近に徳島で始まる阿波踊りクラブの子供たちもきてくれていて男の子が少し披露してくれました。
その他、女性消防クラブも団体で見学にきてくれました。全国どこへ行っても仲良しで当日もおしゃべりしながら応援してくれていて、年取って目が悪くなったから、競技が遠すぎて見えないよと率直なご意見でした(笑)


優勝は埼玉県三郷クラブ、2位は愛知県豊田市龍神中学校クラブ、3位は神奈川県川崎ジュニアハイスクールでした。

最後に
このようなイベントは将来の消防防災を担う人づくりのためです。

災害国日本の基礎固めとしての役割がおおいに期待できるイベントとして成長しています。この少年消防交流会から育ったクラブ員たちが地域の要となるのは大きいクラブ員で15歳。

仕事や大学へ進むわずか3年後、小さいクラブ員(11歳)で6年後です。このイベントはまさに“未来への投資”となり、若い消防防災人が沢山いる地域が増えていきます。

頑張れ消防クラブ員たち!

 

【第12回】

レジリエンス、何かあってもまた立ち直れる力、という考え方

個人スキルに重点をおいたサートプログラム”にも影響を与えているレジリエンスという考え方が今アメリカのみならず世界中に広がっています。
もともとは反発性、弾力性という物理用語です。それが心理学をはじめとして、防災や温暖化や地域など色々な分野で使用されるようになったものです。1985年にアメリカで概念が発表されているようです。
最近では2013年に開催されたダボス会議の報告書でレジリエンスがメインテーマとしてレポートされ、国連もレジリエンスの力がこの不確実な世界に必要だと訴えはじめました。
世界でも最もHOTなそして広範囲に応用できるプログラムです。日本では主要政策の一つとして国土強靭化が提唱されていますが、これは英語では”ナショナルレジリエンス“として発表されています。

世界がレジリエンスに注目する訳


今世界はますます不安定になっています。イラクから始まった戦争はISなどのテロを引き起こしています。フランスでのテロはほんの数カ月前でした。
世界中で異常気象が頻発し、寒波や熱波や干ばつなどの天候不順は農作物の不作をよびこみ穀物価格の上昇は多くの人に打撃をあたえています。熱中症は驚くほどの数が各国で報告されています。ハリケーンや台風は巨大化しており
日本でも今まで想像できなかった大型台風が強風、洪水、土砂崩れ等により多くの被害が起きています。地域では高齢化が進み、少子化が進んでいます
とにかく今までとは違う変化が我々に押し寄せようとしています。知恵と情報、技術とコミュニケーション、そしてそれをまとめ成し遂げるためのシステムが必要になってきました。その中でのレジリエンスなのです。

 

アメリカでのレジリエンス研究、教育


アメリカではレジリエンス教育は既に社会の中で多岐にわたり活用されています。後ほど少し紹介します。
      1.学校でいじめなどの対策プログラムとして
      2.会社の研修プログラムとして
      3.軍隊での軍人研修プログラムとして
      4.地域での住民研修プログラムとして
      5.災害に折れない暮らし地域をつくるプログラムとして

 

実は私がこのレジリエンスという考え方に最初にふれたのが、3.軍隊でのプログラムです。アメリカではベトナム戦争後の帰還兵たちの中に深刻な人格障害などの後遺症を発症する兵士たちが沢山出て社会問題になりました。
近年このベトナム戦争後の後遺症を調べる中でなぜ後遺症を発症する人としない人がいるのかと研究をはじめた結果、発症しない人の精神の健康面が自己実現や創造性、いかに良く生きるかを目標として生きてきたかなどのレジリエンス能力を備えてきたことがわかってきました。

特にベトナム戦争時、べトコンの捕虜として捉えられ、悲惨な収容所生活を生き抜いてきたチームに実施したインタビューから、どうして情け容赦ない拷問や、悲惨な収容所環境の中で彼らが自尊心を失わない力となったのか知ることができます。


1.出来る限り希望と恥じない心(自尊心)を持ち続けること。
2.健康な体を保つ事。収容所のカビの生えたパンでも大切な食べものとして食べること。毎日運動をして体力を保つ訓練をすること。
3.知恵を絞り、アルファベット28文字を文字列にして暗号化して、壁を叩いて音で伝える。のちには咳とくしゃみなども使って看守に気づかれないやり方で情報を送り、それを捕虜全員で共有して、収容所生活の厳しさに立ち向かって行ったこと。

 

驚くべきレジリエンス力です。危機というものは実際に巻き込まれないとわからないものですが、ロールモデルとしてのプログラムを知ることによって、対処方は理解しやすくなり、応用しやすくなります。

次は5の災害に折れない暮らし、地域を作るレジリエンスです。

 

 

これはアメリカメキシコ湾沿いのニューオーリンズ市の堤防がハリケーンカトリーナによって決壊し地域一帯が水の中に沈むという先日の常総地区のような災害が起きてからの地域住民の奮闘の話です。故郷を愛する人達はWe shall not be moved.という合言葉を使い、再建にこぎつけました。ここにはレジリエンスの力を見ることができます。

 

被害が出た地区は海抜がマイナスのエリアです。高級な住宅地もありましたが、貧しい住宅地も多かったのです。住民たちは洪水に追い立てられて全米にバラバラにちらばりました。

 

1か月が経ち、3か月が経っても戻ってきていいという号令はでません。メディアはこの地区は2度と立ち直れないと放送でつたえました。実際水はまだ残り、地区全体から腐敗臭が立ち上り、油が流出したのでどこもベタベタとしていました。

 

ここを今あるように、居心地のよい地縁の戻った地区として復興したのが住民たちでした。市の復興計画から自分たちの地区が緑の公園として復興されると発表された時、住民たちは立ち上がりました。“存続可能な場所だと証明する”のだ。

 

まだ多くの住民たちがこの地区に戻ってきてないうちから、人々を集めミーティングを開き、話し合いを開始しました。多くのNPOや建築、教会関係者も手伝いにはいりました。そして自分達で実施したい地区復興計画を市側に提出したのです。市は最初その計画を拒否しました。でも住民たちは力を合わせ、ついには市の賛同をえました。各地区が見事に蘇ったのはこの成功は全米で称賛されるプロジェクトになりました。日本でも特集がでました。

住民たちの勇気、コミュニティーの団結力、ポジティブな考え方、実行力が生んだものです。そしてNever Give Upの精神です。

 

1の子供達へのクラスはイラストにあるプーさんのティガーに現れています。ティガーは呼びかけます。人生はいかに早く走れるか、どうやって高く登れるか、ではないよ。いかに上手にBounce(跳ね上がる)かだよ。

こうやって逆境に対しての跳ね上がる力をそだてるのです。

 

レジリエンスの構成要素

1.自分を否定するのではなく、欠点や足りないところはあるにしても、基本的にこの自分でよいのだという基本的な自己肯定感(自尊感情)

2.何か上手く行かないことが起こった時に、その状況や問題を、自分を委縮させるのではないやり方でとらえる楽観的な思考 ポジティブな考えかた

3.具体的な問題に対処するために問題解決スキルや他の人と上手くやりとりするための対人スキルなどの社会的スキル

4.何かあった時に自分を支えてくれる頼れる人々やグループなどのソーシャルサポート

 

 

◆レジリエンスを育む10の方法 アメリカ心理学会提唱◆

 

1.つながりを持とう

 自分の事を気にかけてくれ、自分の話に耳を傾けてくれるはずの人達から助けてもらったり支えてもらったりすることが大事です。

2.危機に直面した時、乗り越えられないものと思わない

 ストレスの大きな出来事が起こると言う事実は変えられませんが、自分がそういった出来事をどう解釈し、それにどう対処するかを変えることはできます。

3.変化は人生の一部だと言うことを受け入れよう

 変えられない状況を受け入れることで、自分が変えられる状況に焦点を当てられるようになる可能性があります。

4.目標に向かって進もう

 私が行きたい方向に進むのに役立つことのうち、今日私が成し遂げられるのは何だろうかと現実的な目標を設定することが大事です

5.断固たる行動を取る

 問題やストレスが消えてなくなればいいと願うのではなく、断固たる行動をとりましょう。

6.自己発見の機会を見つけよう

 喪失感に苦しんだ結果、自分自身について何かを学ぶことも多く成長したことに気付くかもしれません。

7.自己肯定感を育てよう

 自分の問題解決能力への自信をつけ、自分の直感を信じることはレジリエンスを育てるのに役立ちます。

8.物事を正しくとらえよう

 つらい状況でもその状況をより幅広くとらえ、長期的な視点を保ちましょう。

9.将来の見通しに希望を持とう

 自分が恐れていることを心配するのではなく、自分の望むことを思い描きましょう

10.自分を大切にしよう

 自分自身が必要としていることや感じていることに気を配り、自分が楽しめリラックスできる活動に関わり、習慣的に体を動かすなどによってレジリエンスを必要とする状況に対処できる心と体を保つことができます。 

 

 

【第13回】

アメリカの防火週間今年の標語

 グズグズしないで!

 今すぐ煙感知器の年齢を調べて。

 製造から10年以上の煙感知器は新しいものに変えよう。

2016年10月9 日~15日

 

 これが今年の米国の火災予防週間の標語になります。

NFPA(National FirePrevention Association)米国火災予防協会が毎年発表しているキャンペーン標語です。

 

これは1871年10月8 日から9 日に起こったグレートシカゴファイヤー(シカゴ大火事)がきっかけとなって設置されました。この火災はシカゴ市の半分が焼け、死者250人以上、17,400件の建物が燃え、10万人ものホームレスが出ました。

その被災を忘れないために1922年ウィルソン大統領により火災安全週間が設けられたものです。(話が飛びますがシカゴ市の観光で有名な川下りのボートにのりますと昔グレートシカゴファイヤーが起こった場所で~なんて説明しております)

 1927年よりこの火災週間標語が設けられ毎年作成続けられております。

ちなみに1 回目の標語は“1927 Why this MadSacrifice to Fire(どうしてこの恐ろしい火災が)でした。

今では毎年米国消防長会や火災協会、NFPAから発表されています。

NFPAは長期にわたり火災避難訓練と火災報知器の取り付けサポートを続けています。何故なら家庭が巻き込まれるホーム火災はいまだに大きな比率であり亡くなる方が多いからです。

2014年の火災年間データがあります。ホーム火災の半数の家庭が煙感知器で早期避難をすませ、命が助かっています。またホーム火災で亡くなった人々の3 分の2 が煙感知器を設置していなかったか、バッテリー不足(アメリカではまだ乾電池( 1 年もの)で働く煙感知が多く残っている)もしくは故障でした。

まだまだ気を抜けないと会長はコメントしています。

 

NFPA:National Fire PreventionAssociation

 

NFPAの説明を少しいたします。アメリカのボストンにあるNPOです。公共的な性格を強く持ちともすれば人々の関心から外れがちな火災の被害を減災させるために強い働きかけをしています。

 火災規則書(NFC)National FireCodeはアメリカの消防隊や企業で使用されていますが、近年では様々な国で使用されるようになってきています。理由は最新の事故や火災の事例を取り入れていることで全ての規則書が3 年に一度書き換えを実施しています。これは大変優れた特徴で、ほかの規則書が、例えば米国労働基準法などの書き換えが1980年くらいより進んでいない中、最近では“NFPAを参考にすること”と書き添えるくらいの高水準内容になってきました。

 

 583個のコードがあり有名なものはやはり命のコードLife Safety Code101でしょうか、私たち予防課員が一番使用させていただく規則書です。

寝室に煙感知器を設置することも40年ほど前から“Should”“すべき”と取り上げられて

 

おり、パニックハードドアや避難経路の考え方、避難を基準にした建物や部屋の最大占有人数などの重要なものが述べられています。

その他では電気関係Code72という規則書は私の一番苦手な規則書でした。情けない事ですが、日本語の説明書を読み込んでも中々理解できないのでいつもチーフにきいておりました。

この規則書はアメリカで電気関連商品を売ったり設置作業をしたりする関係者、特に中国や中南米の関係者達が懸命に解読するものになっております。

この規則書をクリアしないとアメリカで商品を売れないからです。今では発電系の太陽光発電装置、その電気関係規則の規則も入ってきているので、中国やヨーロッパの業者さんも来年2017年に出る予定のアップデート版の中身を必死で探っているようで、ネットでもそのような話がでています。

 また5000番の建築関係コードもテロの関係で付近の建物からどのくらい空き地を設けなければいけないなど、事例から作成された最新の規則がのせられております。

 

 

夏の火災安全について 独立記念日の花火とBBQ

毎年この時期になると必ずと言っていいほど消防署から住民たちに“花火やBBQの火災安全”が配られるのですが、それは7 月4 日の独立記念日前後です。

 

1776年イギリスからの独立戦争を戦い、勝利することによって世界で最初の

共和制国家を実現したのがアメリカ合衆

国です。

 

7月4 日にはアメリカ各地で盛大な花火大会が行われます。消防署にとってもとても楽しい日なのですが、なんと花火による火災や火傷が数多く発生しており、大変忙しい日でもあるのです。

2014年の独立記念日の花火に関する火事は18,500件でした。そして救急車によって緊急ルームに運び込まれた重症なケガは10,500件でした。内訳は右記のポスターを見て頂けばお分かりになると思います。

 

 

 又その時期アメリカの各地に小さな市が開かれます。花火売りますという市場です。結構売れているようですがNFPAのパンフレットには次の3 つに気を付けて花火を楽しんでと書いてあります。

 

Be Careful ! 気を付けて!

 1 . 安全であれ。

    もし花火が見たかったら市が開く専門家が上げる花火大会へ行くこと。

 2 . 商業用の花火は使用しないこと。粗悪なものは3 度の火傷を起こす。

 3 . 直ぐ側で花火が使用されている時は小さい子は目をつむること。

    花火の火は華氏1200F(摂氏648度)にもなる。

 

 

私も一度経験したことがあるのですが、アメリカの独立記念日は誰もがウキウキとしているような雰囲気が町中に溢れていました。

夜、車で花火大会会場に花火を見るために行きました。遠くにしか止められなかったので歩きながら会場まで行きました。あちらこちらに家族連れがやはり歩いて会場めざしています。

 日本の夏祭りのような、夜光塗料を塗ったおもちゃの数々が屋台で売られていました。

自転車はなんとタイヤに夜光塗料で光るキャップや絵柄が取り付けられていて、走るたびに光る自転車でした。 

花火会場はグランドです。既に沢山の人でいっぱいでしたが何とか座りました。花火が打ち上げられると驚いた事に大変低い高さで花火が広がりました。もしこれが基地の花火大会なら、直ぐボスから高さは規則に合っているかと問い合わせが入るところです。今にも降ってくるかのような低さには驚いてしまいました。

日本のように形がハートや二段構えのものや可愛いものはありませんがオーソドックスな花火でした。帰りは勿論渋滞に巻き込まれ遅い帰宅時刻になりましたが大変満足しました。

 

夏のBBQの安全

 

 5 月になると米国ではBBQが盛んに行われますが、日本在住の米軍基地でも同じくBBQの火災安全が発せられます。アメリカ海軍の基地でも毎年予防課より警報をだしました。NFPAでは今年こんなポスターと注意事項を提示しています。

“BBQは7 月が一番ピークです、火傷に気を付けましょう”

 

SAFETY TIPS 安全助言:

1 Propane and charcoal BBQ grills should only be used outdoors.

 プロパンそして炭火BBQグリルは屋外で使用しましょう

2 Keep children and pets at least three feet away from the grill area.

 子供やペットはグリルを置いている場所から必ず3 フィート離しましょう

3 Keep your grill clean by removing grease or fat buildup from the grills and intrays below the grill.

 グリルから落ちて積みあがっている油や脂肪や床版をいつもきれいにしておきましょう

4 Never leave your grill unattended.

 

 決してグリル使用中は側を離れない事